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◉2015年までは、2014年の40周年記念出版した「身も心もジャズ」(関京子 拙著) に掲載した「沿革と歴史」を転載。
◉以降は、コロナ禍の渋谷移転 (2021年) にともなうホームページの第3次リニューアル時に追加/加筆したものです。
=====〈1965年〜1973年〉=====
オーナー関京子、日本で最初のジャズライブハウス「タロー」を新宿歌舞伎町に開設。冷房施設のない時代、氷柱を置いて冷気を出し熱きジャズに浸る…そんな日本のジャズ草創期を、ライブハウス「タロー」のオーナーとして過ごし、まだ無名の 菊池雅章、日野皓正…等、後に日本のジャズを背負うことになる多くのミュージシャン達との親交を築く。
=====〈1974年〉=====
新宿百人町に、レコードでジャズを聴かせる深夜ジャズ喫茶 BODY&SOUL を開店。(★この年を BODY&SOUL 創業の年 Since 1974 としています)
日本最初の野外コンサート「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」で来日したドラマー ロイ・ヘインズ が来日するたびここを訪れ、NYで活躍するミュージシャン仲間に当店を紹介。当店が、特に海外のジャズ・ミュージシャンたちに知られるきっかけを作った。
=====〈1977年〉=====
BODY&SOUL を六本木交差点に移転しグランドピアノを設置。ピアノの弾き語りをメインとするライブ演奏を始める。今で言う「ピアノバー」のハシリである。すると旧知のジャズ・ミュージシャンが夜な夜な集まり、やがてベースアンプを置くようになり、ドラムセットを置くようになり…。ジャムセッションが日常的になり、ライブ演奏が本格化していく。
=====〈1977年〜1985年〉=====
ジャズ・メッセンジャーズを率いていたアート・ブレイキーが、来日コンサートのたびに、当時親分肌だった彼が来日したお仲間を引き連れて当店を訪れるようになったのを契機に、ツアーなどで来日するほとんどのビッグネーム達が頻繁に訪れるようになった。やがて BODY&SOUL の存在がNYなどでミュージシャン仲間に口コミで広まるようになる。(★この頃以降の内外のジャズ・ミュージシャンと関京子との親交を綴ったのが「身も心もジャズ」)
=====〈1985年〉=====
この六本木店をピアノバー・スタイルのお店から、ライブ演奏のできるお店に大改装し、本格的なジャズクラブとしての地位を築き始めていく。
「東京ジャーナル」(外人向け情報紙)で「東京NO.1 のジャズライブハウス」に選ばれてから外人固定客も増加。その後「東京ジャーナル」紙には、関京子は対談そのほか経営者としてだけでなく、ジャズ文化を基礎にした日米文化交流の担い手として登場するようになる。その関係もあり元駐日アメリカ大使アマコスト御夫妻をはじめイタリア、オランダなどの大使館員の社交の場としても機能し「アメリカ大使館公認遊興施設」の特典を得ることとなる。
=====〈1986年〉=====
スティーブ・ガッド、エディ・ゴメス、ハンク・ジョーンズらを BODY&SOUL 独自で初めて招請し3日間のライブを行う。以後エディ・ゴメスには事あるごとに出演してもらう仲となっている。(★エディ・ゴメスをコアにした 「BODY&SOUL ファミリー」の始まり)
=====〈1987年〉=====
内外の多数のミュージシャンを集めて開催された、複数のライブハウスを動員したジャズ のコンサートイベント「六本木ジャズビレッジ」を総合プロデュースし成功を治める。単身渡米し新人発掘と招請にオーガナイザーとして活躍する。(★この時にNYのジャズクラブを訪れ多くの若き新人を見つけて招請。これが縁で有名になった彼らが必ず訪れるようにもなる)
=====〈1988年〉=====
「スウィングジャーナル」誌に1年間「六本木オンオフ」というコラムを連載、ジャズ文化を語る。そのほかさまざまなミュージシャンのライナーノーツをはじめ、コンサートのプログラム等を執筆する他、ジャズ専門誌はじめ一般週刊誌の取材等に多数登場する。
=====〈1990年〉=====
この頃、ブルーノート東京、原宿キーストンコーナーが開店。(★これ以降、来日公演の旧知のミュージシャンが公演後必ず立ち寄るようになる)
TBSテレビの30分番組「すばらしき仲間たち」にジャズシンガー伊藤君子とともに出演。店内での演奏風景と合わせて放映される。この頃から、テレビドラマの舞台としてピアノ弾き語りシーンなどにたびたび店内を利用されるようになる。ジャズ好きな作家との親交も深まり、例えば故色川武大氏のエッセイ等にも登場している。
=====〈1991年〉=====
店舗を六本木から北青山に移転。
=====〈1992年〉=====
店舗を北青山から南青山に移転。
=====〈1993年〉=====
「JAPAN TIMES」に、オーナー関京子が日本のジャズシーンについて語った記事が1ページ掲載される。近隣のブルーノートなどに出演のため来日するほとんどのミュージシャンは、すでに旧知の間柄となっており、当然のように当店を訪れ、アフターアワーズを楽しんでいくのが常となっていた。そして、本国でも実現しないようなジャムセッションが始まるユニークなライブハウスとして、内外で知られるようになる。
若い無名のミュージシャ ンでも、見所があると出演させ、積極的にデビューをお手伝いする。そんな中に、TOKU、小沼ようすけ、秋田慎治…等がいる。関京子の「音」に対するこだわりは、ライブサウンドの良さとしても定評があり、数々のライブレコーディング盤として結実している。
=====〈2004年〉=====
記念イベントとして1週間、エディ・ゴメスとグラディ・テイトを招き、日本のミュージシャンとの共演イベントを開催し大盛況のうちに終える。
=====〈2006年/2007 年〉=====
関京子、NYで開催された IAJE (International Association for Jazz Education) に参加。多くのミュージシャンと旧交を温める。
JAL 機内に、BODY&SOUL のチャンネルが常設され、機内において、ここでライブレコーディングされたジャズが聴かれるようになる。
=====〈2007年 〜 2008年〉=====
【BODY&SOUL レーベル】CD群をリリースしはじめる。このレーベルはジャズミュージシャンが自身の音楽をCD化する機会、あるいは、広く世の中にデビューする機会が非常に少ない、という現状を何とかしたい、というオーナー関京子の熱い想いをカタチにしたもの。収録曲の全てが、BODY&SOUL においてライブ録音され、各CDは設定したテーマに添って複数のグループ・ユニットを抱き合わせて1タイトルのCDに納める…ボディ&ソウルならではの企画性・話題性に富んだ、これまでにないユニークなレーベルである。(★これは最初のシリーズで第9弾までリリース。2017年に[BSJSジャズサポート]レーベルを新たに立ち上げ現在第7弾までリリース)
=====〈2009年〉=====
4月に35周年記念スペシャル第1弾として【小曽根真 3Days】 を。8月には記念イベント第2弾として【JAL協賛スペシャル1ウィーク】を開催。
=====〈2014年〉=====
8月、40周年を迎えたのを機に老朽化した店内を改装。ホームページなどもリニューアル(★HP第2次リニューアル)。5日間の改装工事終了後、 生まれ変わったボディ&ソウルとして営業開始。将来の会員制ジャズクラブを目指して、当面「サポーティング・メンバー」を募集。
10月、5日間の改装工事終了後、リニューアル・スペシャル・イベントとして「小曽根真3Days」を行い大好評を博す。
ダウンビート誌による「世界のトップ ジャズ クラブ」に選出されるようになる。(★ダウン・ビート誌は創刊1934年。ジャズ/ブルース界だけでなく米国を代表する音楽雑誌で、最も歴史と権威ある雑誌として知られ特にジャズ・ファン、ジャズ・ミュージシャンにはよく知られている。コロナ禍で3年間休止も今年2023年再開され、世界106カ国、日本では2店のみ選ばれている)
=====〈2015年〉=====
11月、台湾から招請されてジャズクラブのオーナーとして、ジャズやミュージシャンに関することを講演することに。
[関京子 談]
最近の世の中を反映して、ウチにも台湾からいらっしゃる方が多くなりました。そうしたお客さまの一人に、ライブのお店や豪華なレストランを持つ富豪のオーナーの方がいて、その方の協賛を得て、台湾のジャズ文化の振興に熱心にご尽力されている方が何度もウチを訪れてくださって、日本と台湾のミュージシャンによるジョイントコンサートなどのイベント企画の話が進みました。その一環なのです。
私はそんなことを語れる人間ではない、と最初は固くお断りしたのですが、何でも色んなアメリカのジャズ関係の紙誌を読んでいると、BODY&SOUL や Kyoko Owner のことがさまざま出てくるんだそうです。それで多分、私を買いかぶったのかもしれません。彼のジャズへの熱意にお断りしきれなくて、大それたことを引き受けてしまいました。
11月にはTOKU さんとトニー・サックス(pf) 佐藤ハチ恭彦(b) 山田玲(ds) さん、そして私の通訳をしてくださる、いま来日ミュージシャンのマネージャーとしてご活躍中の まゆみギルフォイルさんとで一緒に台湾に。
経済だけでなく将来は「中国パワー」がジャズの世界を席巻するかもしれません。ホームページでご報告します。乞うご期待。
=====〈2015年〉=====
10月10日、1年遅れるも40周年(2014年)を迎えた記念として、BODY&SOUL の40年間を綴った「身も心もジャズ」を出版。南青山店で盛大に出版記念パーティーを行う。
=====〈2015年〜2020年〉=====
バブル崩壊以降リーマンショック(2008年)を経て、失われた20年と言われる長いデフレ時代により、ジャズファンの高齢化も進み、ライフスタイルも一変。「隠れ家的存在」だった南青山店も、逆に、奥まった住宅街という「地の利の悪さ」に変化してきていた。
=====〈2021年10月〜〉=====
そんな状況のなか2020年コロナ・パンデミックが始まる。NYでは多くのジャズクラブが閉鎖され、向こうで活躍していた日本のミュージシャンや留学中の若者の帰国が相次ぎ、ファンも演奏家も巣ごもりが常態化する。このままではライブジャズ文化がどんどん衰退していってしまう、という危機感の中、関京子は渋谷移転を決意。(★HP第3次リニューアル)
100年に一度という大再開発が進行中の「これからの街」渋谷の地で、Z世代をはじめ新たな価値観の若者たちにライブジャズという音楽の素晴らしさを伝えていきたい、という関京子の強い思いが「公園道りのBODY&SOUL」に結実して現在に至っている。「ジャズという音楽は、ファンも演奏家も含め、コンサート会場ではなく身近に接するライブジャズの現場でこそ生まれ育つもの」これは半世紀に渡って、ほぼ毎夜ライブの現場に立ちあってきた関京子の変わることがない強い信念である。
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