デイリーレポート
小曽根さんの音楽的足跡を堪能した最終日(その1)
◉当店の常連さんの中西さんが、素晴らしいレポートを書いて Facebook に投稿してくださいました。さっそく中西さんに許可をいただきましたので、転載させていただいて私のレポートと致します。こうした大きなイベントでの中西さんのレポートは恒例になった感があります。中西さんありがとうございました。
———
▶BODY&SOUL45周年記念【小曽根真 3Days】最終日《The Origin》メンバーは小曽根真(pf) 中村健吾(b) デニス・フレーゼ(ds) 近藤和彦(as,ss) さん。当夜はタイトルにあるように小曽根さん自身の音楽的起源を探る熱いふたつのセッションが繰り広げられました。まずファーストセットからレポートします。
データにも示したように、セカンドアルバム”After”から2曲、4枚目のアルバム” Now You Know”.から2曲。なかには30年ぶりに演奏される曲もありましたが、中村健吾、デニス・フレーゼという鉄壁のリズムセクションに、最近ますます美しさを増す近藤和彦さんアルト・ソプラノサックスをフィーチャーしたカルテットは、コンポーザー自身が難曲だという複雑なピースを、限りなく美しく繊細に、そして情熱的に演奏し、満員の聴衆を圧倒、感動にいざないました。回顧しながら常に未来を見つめるのが小曽根流。若書きのピースに自己批評を加えながら、現代的な抒情性で上書きしてみせる凄みのある、ファンにとってはたまらないライブであったといえるでしょう。
アンコールは、お客としてこられていた伊藤君子さんをいざなって社歌”BODY&SOUL”をロマンティックに。いきなり呼び込まれてこんなにすばらしいジャズソングを歌いこなすペコさんもすごいですが、なによりこのすばらしいメンバーで、BODY&SOULの45周年を祝うことができたのは、常連のはしくれとしてまことにうれしいことでした。ジャズのすばらしさに涙した夜。京子ママ、BODY&SOUL45周年おめでとうございます。これからもますますご活躍ください。
▶以下のレポートは、ファンとしては聞き捨てならない小曽根さん近藤さん健吾さんのMCを記憶をもとに書き残したものです。不正確なところも多々あることをご承知おきください。
▶1st stage…♪Bouncing in My New Shoes、♪Yellow Fever…小曽根「曲が若くて元気。欲張りなのがわかる。どこへいきたいのかな?と思いながら弾いていた。当時、僕は曲のタイトルを決めるのが苦手なので、ベーシストSteve Swallow にまかせていた。”Yellow Fever“は、われわれが黄色人種だからついた名前だが、のちに『黄熱病』という意味があることに気づく。しかし時すでに遅し。」(大爆笑)
♪If You Knew Sushi…小曽根「”If You Knew Sushi” はアメリカでは受ける曲名だった。それは “If you Knew Susie” という有名な曲があるから。しかし日本ではタイトルを言うのがとても恥ずかしかった。」
小曽根「バークリーに行った頃は、世界で一番速く弾くピアニストになりたかった。だから音楽性などどうでもよかった。トロンボーンのフィル・ウイルソンとデュオのコンサートをやったとき、すごく速く弾くピアニストがいるということでボストン中に評判がたった。ゲイリー・バートンから「君はいつまでそんな曲芸のようなことをやっているのか」と問われたが、「僕はデビューしないし、速く弾きたいだけだから、ほっておいてください」と返事をしておいた。でも、卒業コンサートにプレゼンターとして来ていたクインシィー・ジョーンズに「君デビューしろ」と言われて、これはやばいと…。
このままの状態でデビューしたら、オスカー・ピーターソンの物まね、しかもNGバージョンばかりの演奏になってしまう。そこでゲイリーに相談したり、クラシックを聴き始めたりしたが、レコーディングまでの半年で、自分のスタイルを作り上げることは無理だった。だから一枚目のアルバム”OZONE”にはスイングの曲を入れていない。スイングを演奏するとオスカー・ピーターソンの言葉が出てきていしまう。だからスイングを封印した。
しかし、二枚目のアルバム”AFTER”では、ジャズのフォーマットを壊すことがテーマだった。自然の音楽のハーモニーをどうやって裏切って、めんどうくさい曲にするか。しかしそれをメロディが繋いでゆくという…。だからこの曲はすごく難しい。ふつうはテーマが難しくても、アドリブにいくとホッとするが、この曲は最後の最後までホッとできない。一回落ちると戻れない曲だと思う。」(とても興味深い貴重なお話を笑いを交えて面白くしてくださいました)
♪I Try to Imagine…近藤「水戸で小曽根さんとデュオコンサートをやることになって、お互いに曲を書こうということになった。僕は曲を作るのに時間がかかるけれどダメ出しをされてもいいように2曲書いてリハに持って行ったが、リハ当日に小曽根さんから少し遅れると連絡があり、実は曲を書くのをすっかり忘れていて、小曽根さんが朝思い出して急いで書いてきた、というのがこの I try to imagine。朝ササっと書いた曲とはいえ音を出してみたらとても深い感じがして心を奪われ、いつかNNHでもやりたいとお願いしていた曲。何年越しかでついに録音されて今度の新譜に入っています。一度ダメ出しをされて、僕はどちらかを使ってもらおうと思って二曲書いた。リハーサル当日の朝、『少し遅れる』と小曽根さんから連絡があり、よく聞いてみると曲を書くのを忘れていたのだった。しかし、楽譜をもらって音を出したとたん、僕はこの曲に心打たれた。」小曽根補足「No Name Houses でレコーディングしたバージョンを今夜はソプラノサックスをフィーチャーしてカルテットで演奏」
♪OP-OZ (Kengo Nakamura) played by TRIO…中村「小曽根さんとは1999年ニューヨークで会ってちょうど20年。その間音楽の愛の鞭と(笑)ごはんをたくさんごちそうになってずっとお世話になっている。出会って一年目に小曽根さんのために書いた曲。OPはオスカー・ピーターソン、OZは小曽根真。」あわてて楽譜を探すデニスに。小曽根「楽譜がなくても大丈夫、大丈夫。一小節が長くて難しいだけだから(笑)」。
♪Might As Well played by TRIO…小曽根「僕がバークリーに行った1980年代はすごい時代だった。現在ジャズの最前線にいるドナルド・ハリソン、ブランフォード・マルサリス、ジェフ・ティン・ワッツなどみんな同い年。彼らはジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスを聴いてきたが、僕はオスカー・ピーターソンとかヘンリー・マンシーニなどを聴いていてド・ジャズではなかった。先日亡くなったミッシェル・ルグランが大好きで、彼のように書きたいと思って書いたワルツが数曲。そのひとつ。」
小曽根「健吾はこの20年間で大きく変わった。もともとはミンガスとか太いベースが好きだった…。」中村「まずアンプの音が大嫌い。サンバとかもありえない。しかし小曽根さんに会ってから音楽って広いと気づいた。それからガラッと変わった。」
小曽根「僕がリズムセクションとして一緒にやりたい人は、もちろん上手だということも大切だが、その人の中でハーモニーが鳴っている人。僕がこんな気持ちでいるというとこんな気持ちの音が来る。デニスも同じ。僕がどこに向かっているかということを勘で感じてくれる。音楽はやればやるほどミラクルなラングエッジだと思う。このふたりとできることは幸せ。」
♪Watch What I’m Gonna Do…小曽根「僕の曲は長い。最長で37分もある。この曲もとても長い。僕も最近やっと弾けるようになってきた(笑)。アルバム”Now You Know”の一曲目のこの曲だが30年ぶりに演奏する。」
アンコール…伊藤君子さん♪Body and Soul。
◉後半 2nd セット (次ページ) に続く
◉スナップ写真も次ページに掲載
読者の投稿